シリーズ最終回。三つの物語を知ったうえで、地図を広げます。この伝説のすごいところは、舞台がぜんぶ実在の地名で、その多くにいまも行けることです。

町内で歩ける場所

隣町への小さな旅 — 日南町宮内

伝承の深いところは、日野川をさかのぼった日南町宮内に集まっています。

『日野郡史』には、この鬼塚と崩御山の100年前の写真が載っています(著作権が切れているので、誰でも見られます。リンクは記事末尾に)。同じ場所に立って、同じ角度で今の写真を撮る——この連載の宿題のひとつです。撮れたら、この記事に並べて貼ります。

もうひとつの宿題 — 鬼は、どっちを向いている?

第一回を思い出してください。兄鬼・大牛蟹は「北を守らせて下さい」と言って許されました。

だとすると、です。おにっ子ランドの巨大な鬼像は、どっちを向いて立っているのか。鬼守橋の10体は? 約束どおりをにらんでいるのか、それとも全然違う方角なのか。

正直、わたしはまだ確かめていません。今度メジャーじゃなくてコンパスを持って、見に行ってきます。結果はこの記事に追記します。もし読者のかたが先に確かめたら、ぜひ教えてください。

ただ、地図を眺めていて気づいたことがあります。縁起によれば天皇の宮があったのは日野川の上流、いまの日南町宮内のあたり。鬼住山はそこから見て下流——つまりにあたります。だとすると「北を守らせてください」は、鬼がどこかへ移されたのではなくて、自分の山にそのまま留まることを許された、という読みができます(あくまで推定です)。日野の谷の北の入口に、鬼の山が門番のように座っている。鬼住山という名前が今日まで残ったことまで、これなら筋が通る気がするのです。

ちなみに鬼守橋のブロンズ像は平成の設置なので、像の向きは現代のデザインの都合かもしれません。でも「鬼守橋」という名前そのものは大正の郡史に載っている古い層。名前が守りを覚えていて、像はその上に立っている——そう考えると、向きがどちらでも、確かめに行く価値はあります。

おわりに — 知っている話の、知らない深さ

移住してきたばかりのわたしは、あの鬼が「許されて町を守っている側」だとは知りませんでした。たぶん、毎日この町で暮らしていても、知る機会は意外と少ないんじゃないかと思います。

一つの山に、三つの物語。鬼の話、皇子の話、人間の話。どれも食い違って、どれも「敵は滅ぼされず、降って、仲間になる」ところだけが同じ。失われた絵巻の前半を、この土地の人たちは100年以上、口と石と橋の名前で語り継いできました。

次にあの鬼の像の前を通るとき、すこしだけ見え方が変わっていたら、この連載は成功です。

うさぎのひとこと:コンパス持って鬼に会いに行く休日、いいでしょう。お供します。団子は各自持参で。


参考文献: