同じ鬼住山の話なのに、ある旧家の家伝では、物語は恋から始まります。まずは紙芝居でどうぞ。鬼は残らず従い、されど勝った皇子は帰らなかった――三つのうちで、いちばん静かで悲しい一篇です。【文書記録】の回です。

紙芝居 ―― 皇子の物語

霧の古代の里。川辺で水を汲む素朴な装いの娘の後ろ姿

むかし、伯耆の国の妻木の郷に、朝妻という、たいそう美しい人がいた。

藍の山並みの彼方へ続く道。都へ向かって小さくなる姫の影

その美しさは、やがて都にまで聞こえた。姫は召されて、みかどにお仕えする身となった。

古代の素朴な装いの姫が、霧の尾根道をひとり故郷へ歩く後ろ姿

けれど故郷には、年老いた母がひとり。姫は暇を願い出て、母を養うために、伯耆へ帰っていった。

ふもとから仰ぐ大きな山。中腹に古代の素朴な宮の小さな灯

すると――みかどご自身が、姫を慕って、はるばる伯耆まで下っておいでになった。しばらく住まわれたその山を、人は孝霊山と呼ぶようになった。

夜。木の皮で葺いた古代の素朴な宮。戸の隙間から漏れる、あたたかい灯ひとつ

やがてふたりの間に、ひとりの皇子が生まれた。名を、鶯王という。

遠い鬼住山に重く立ちこめる黒い霧。ふもとの里の不安の気配

そのころ、日野の鬼住山には悪鬼が棲み、近隣の民を悩ませていた。

霧の谷を、朱の旗を先頭に鬼住山へ進む古代の軍列。先頭に若き大将の後ろ姿

家臣の大連が、進み出て申し上げた。「鶯王さまを大将に、わたくしがお供して、退治してまいります」。勅命が下り、軍は鬼住山へ向かった。

霧の野で、朱の旗のそばに立つ古代の皇子の前に、武器を置いて頭を垂れる鬼たち

戦いの結末を、家伝はたった一行で記している。――悪鬼は、残らず従った。

戦いのあとの静まりかえった霧の野。地に倒れた朱の旗がひとつ。人はいない

勝ち戦であった。けれど。――鶯王、この地に戦死す。悪鬼は残らず従い、されど勝った皇子は、帰らなかった。

霧に沈む夕暮れの山あい、木の皮と笹で葺いた古代の素朴な社の前に灯がひとつ

ふもとの社に祀られているのは、この若くして散った皇子の御霊だという。夕暮れの社の前に、灯がひとつ。風だけが、ある。

――これは、鬼住山に伝わる三つの物語の、ひとつ。


ここからは、史料の話

この物語は、『日野郡史』の「口碑傳説」の章に、楽楽福神社の縁起とは別系統として収められています。日野郡の旧家・進(しん)家に伝わった家伝『由縁世代抄』。同じ山の話なのに、構成がまるで違います。

朝妻姫

昔、伯耆の妻木の郷に朝妻という美しい人がいました。やがて評判は都に届き、姫は孝霊天皇の宮女に。けれど故郷には年老いた母がひとり。姫は暇を願い出て、母を養うために郷へ帰ります。

ここからがこの物語の独特なところで――天皇のほうが、姫を慕って伯耆まで来てしまうのです。天皇がしばらく住んだ山は、のちに孝霊山(こうれいざん)と呼ばれるようになったと家伝は語ります。米子の東にそびえる、あの山です。

ふたりの間に皇子が生まれました。名は鶯王(うぐいすおう)。

鬼住山へ

そのころ日野郡の鬼住山には悪鬼が住み、近隣の民を悩ませていました。家臣の大連(おおむらじ)が進言します。「鶯王さまを大将に、私がお供して退治してまいります」。勅命が下り、軍は鬼住山へ。結果を、家伝はたった一行で記します。「惡鬼不殘打隨ひしと也(悪鬼は、残らず従った)」。

ここでも鬼は滅ぼされていません兄鬼の降参と同じ、「敵が降って従う」結末。系統の違う二つの物語が、同じ芯を持っています。

それでも、皇子は帰らなかった

勝ち戦でした。このとき、軍の先頭を切って「んだ」家臣の大連(おおむらじ)は、その手柄によって「(しん)」という一字を、姓として賜ります。先頭を「進んだ」から「進」。語呂合わせのような、名字の由来譚です。これが、日野郡にいまも続く進家の名字の始まりだと家伝は語ります。伝説が、現実の名字につながっているのです。

そして家伝は、静かにこう結びます。「鶯王この地に戰死す。今の樂々福は鶯王の崩御の御靈を祭るとなり」。

鶯王は、この地で戦死した。そして楽楽福神社が祀っているのは、この若くして散った皇子の御霊なのだ――と、この系統は伝えるのです。

団子と笹の、どこかユーモラスな鬼退治の隣に、こんなに静かで悲しい変奏が眠っていました。悪鬼は残らず従ったのに、勝った側の皇子は帰らなかった。山のふもとの神社に祀られているのが天皇なのか、皇子なのか――伝承によって答えが違うこと自体が、この山の歴史の厚みです。

うさぎのひとこと:恋を追いかけて山陰まで来ちゃう天皇と、いちばん前で戦った皇子の話。教科書には載らないけど、わたしはこの版がいちばん泣けます。


参考文献: